![屋号「rose garden butterfly」の看板として、はじめての主催イベントでまとうエプロンに刺繍した・・・月夜に舞う『ヒメヤママユ』。黄緑がかった糸をはく、野生の蚕です。実際に飯綱高原ではわたしの住む山小屋の灯りに惹かれて何匹も来訪。小動物かと思うほど肉厚で大人の手のひらほどの大きさ、模様のデザインの美しさに(実際にはピンクは入っていませんが)すっかり心を奪われてしまいました。以来、わたしの永遠の「成虫像」になっています。](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=330x1024:format=jpg/path/s3d27867d53f099c9/image/if9000b5bd7423a74/version/1581917126/image.jpg)
今日、庭全体が陽に照らされたとき・・・
ファサ~っと飛来するものが
目の端に映りました。
鳥かな?
と、窓の外をみると
それは、
目を見張るほど大きな羽をもつ「キアゲハ」
夢中でシャッターを切ったけど
上手く収められなくって・・・
でも、
みずみずしいカラダで
縦横無尽に飛行している姿は
眩しいほどの「生」に満ちていて・・・
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思い出したんです
わたしは小さいとき
何になりたかったって・・・
ただひとつだけ・・
「大人になりたかった」・・・ということを。
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韓国版「グッド・ドクター」の第一話で
サヴァン症候群の主人公が
「小児科医になろうと思ったきっかけは?」
と、問われて・・・
「大人になってほしかった」と
応えるシーンがあります。
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子ウサギも兄ちゃんも
幼くして死んだ・・
「子どもはだれしも大人になりたいと思っている
僕は子どもが大人になれるよう助けたい」
だから
・・・小児科医なのだと。
なんて明確な応えなのだろうと思いました。
そして・・・号泣しました。
その主人公の在り方の中に
「大人になりたい」と切望するわたしを、
手段を選ばず助けようとする「自分自身の姿」を垣間視たから・・です。
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命が卵から孵る目的は一つ
「成虫になりたい」
卵からかえり
外敵から身を守り、よく食べ、よく眠り
少しずつ成長していって・・・
成虫になる!
あるものは空を自由に飛び
あるものはメスを奪い合うために力比べにあけくれ
あるものは声高らかに全身を振るわせる
子孫を残すためじゃない、
「自分をこの世界で振るわせるため」
(この世界で表現するため)
きっと・・・その一点に、尽きるのだと
わたしは感じています。
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10年前・・・
飯綱高原の山小屋で暮らしていたとき
山全体を揺らすかのように鳴いていた「エゾゼミ」
あの何万、何億もの蝉すべてが
子孫を残したとは到底思えません
でも、その場にいたわたしを含め
ちがう種の生物たちと彼らは大いにまぐわった・・
個体と個体の交尾だけじゃない
この世界とのまぐわいを果たすため
地中から這い出て、彼らは今ここに
自分を震わせ、命を謳歌したのだと
思えてならないのです
「成虫になること」こそが
「この世界で我が身を振るわせること」であり、
虫たちはただ、それにだけ集中し
長い長い幼虫の時を経て
この世界を謳歌できるカラダをもつ・・・!
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自分がその場に応じて変わってきたのは
自分を守るためだった・・・
自分を表現できうるだけの器になるまで
自分を守ってこれたことに、震えました。
ゲジゲジだったころ、擬態化して身を守った
トゲトゲだったころ、手を出したら刺すぞと脅して身を守った
生き延びるため
ただ一つ「成虫になる」ために
あらゆる手段を使って自分を大きくしたんだと
よくぞここまで
自分を守ったと思う・・・
おかげで、わたしの大事な部分はそのままに
だれにも侵されずに保たれることになり・・・
このしわも、シミもたるみも白髪も
終齢幼虫の姿として、ふさわしいもののように思う
足にある硬質化したイボでさえ
わたしの一番弱い部分を守るための鎧でしかなく
わたしのカラダは・・・
どれほどの強い意志をもって
わたしのそばにいたのだろう・・・と
長い長い年月をかけて守り切った
その「自分のカラダの在り方」が
・・・はじめて視えたように思えて、泣けてきたのです。
親でもなく恩師でもなく
なによりいちばん感謝しなくてならない存在は・・・
「自分のカラダ」・・・だったのだと、
やっと気づいた瞬間でもありました。
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ある中学生が賞をとった「アゲハの研究」があります
食べやすい葉をたらふくたべた幼虫は、モンシロチョウぐらいの大きさのアゲハにしかならないが、
エサは十分あっても食べにくい(足で固定できずに葉が動く)葉を与えた幼虫は、通常4回の脱皮のところを5回、6回脱皮し、大きな終齢幼虫となり、大きな羽をもつアゲハになるという・・・。
※アゲハは通常は5齢で終齢。ですが、6齢、7齢でやっと終齢幼虫になるものもいるという研究結果です。
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新芽の多い食べやすい環境に産み落とされた卵と
食べにくい硬い葉の多い環境に産み付けられた卵では
個体に違いがでてくるということなのです
早く成虫になるもの、遅く成虫になるもの
大きさも含めてどちらがいいとかというわけでもなく、
産み付けられた命は
その環境の中で生き延びるために
精一杯葉を食んでいく・・
それによって
成虫になったときの姿かたちが
同じ種でも変わってくる・・・
人間に置き換えても、ある意味、
同じようにも言えるのではないでしょうか
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=356x1024:format=jpg/path/s3d27867d53f099c9/image/ia140b6b90bf6b103/version/1581917651/image.jpg)
ヒューマンデザインでは
「50歳から人は自分の花を咲かせる」と、言われています
それは、きっと・・・
やっと「成虫になる」ということなんだとも思うのです
ずっとなりたかった自分、
目指していた自分・・・
大人になるということは
「この世界とまぐわえるBODYをもつ」ということ。
来年50歳を迎えるわたしは
そのカウントダウンに、やっと入っています・・・
長かったなぁ・・・
たしかに食んでも食んでも
なかなか大きくならなかったわたし。
ときどき、ずるっと脱げるときがあって
新しいBODYに生まれ変わる感覚はあるのだけど・・・
まわりはとうに終齢幼虫をへて
それぞれの姿の成虫になっているのに・・・
わたしだけまだ、もぐもぐしている・・・(しょんぼり)
空を見上げては
いつになったら自由に飛べるのだろうと
想いを募らせてきたけれど・・・そういうことだったのかぁ
人よりもちょっと
脱ぐ回数が多かったのかもしれません・・ね。
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蝶は、完全変態の昆虫です
その変容は実に劇的で
幼虫のBODYと成虫のBODYでは
食べるものも、ライフスタイルも
ちがう生物のように変わります
背中が割れて出てきたBODYが
何をするのか、何をしたくなるのか
あるいは何をしたくなくなるのか
今のわたしには全くわかりません・・・
これは
その時のBODYに任せるしかないのだと思う
幼虫のBODYが
自分を守ること意外、何もしなかったように、
成虫のBODYがやることに、身を任せるしかないのだと・・・
昔から、何かになりたいという夢はわたしにはなく
未だに何になりたいという確固とした夢も像も持っていません
どんな成虫の姿をしているのかさえ
未だにわからないわたしだけれど・・・
ただ、割れて出てきたカラダを
この世で振るわせていきたいな・・・
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さぁ、どうなる?わたし
今は、時が来て
変態する自分に会うのが
楽しみでなりません
今日、庭に飛来した
大きな羽をもつ「キアゲハ」は
きっと
わたしたちのこれからの姿の「象徴」なのでしょう
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11月8日を境にこの世界は再び
大きな変革の扉を開けると言われています
それは、星・天体の力をかりて
一斉に「羽化」していけるということなのかもしれません
ひとつとして同じ色・形はない
それぞれの生態をもつ成虫たちが舞うこの世界は
この世のものとは思えないほど美しいはずです
自らもその世界の仲間入りをしつつ
そこからの景色を眺めていきたい・・・
この秋から開く世界に
これ以上ないほど胸が高鳴っています
さぁ・・・ご一緒に
「羽化していきましょう・・❤」
今夜の月も含め、すべての天体に
気持ちよく押し出してもらいながら・・・♪
![今夜の「十五夜」です。まだ早い時間だったのでオレンジ色で大きく輝いていました。低い位置で人々の家路を照らす庶民的でかつパワフルな十五夜の姿に、すごく励まされました・・・ありがとう、お月様。](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=459x10000:format=jpg/path/s3d27867d53f099c9/image/if3534fa5f2f10120/version/1537801915/image.jpg)
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