「セッションは人のためならず」

グリーンのカップがこげ茶の空間によく映えます。白・オレンジが一緒に入るのもいいですね・・・【狸穴(マミアナ)Cafe】(北鎌倉)
グリーンのカップがこげ茶の空間によく映えます。白・オレンジが一緒に入るのもいいですね・・・【狸穴(マミアナ)Cafe】(北鎌倉)

 

人のために視ていくセッションですが

 

いつもわたしは自分のために使っています♪

 

 

 

それは、きっと、

 

「こうしなさい」 と強制するような言い方には

 

つい反抗してしまうわたしの性格をよく知っているハイアーセルフ(大きな自分)が

 

いちばんわたしに気づきやすいように、素直に取り入れやすいように

 

降ろしてくれるメッセージなんだと思うから。

 

 

 

小説も映画も、わたし個人のためにつくられているわけじゃないのに

 

それを読んだり、観たりしたわたしたちは

 

そのストーリー・人間模様の中から

 

今、自分にとって必要なエッセンスを自由に拾っていきますよね

 

きっと、この「使ってもいいし、使わなくてもいい」という

 

強制感のないゆる~い感じが

 

天邪鬼なわたしには いいんじゃないかと・・・

 

 

 

人のビジョンの中から学ぶ・・・というスタイルを選んでいるんだと思うんですけどね

 

「使ってもいいし、他人事として流してもいい」

 

どっちでもいいよ、ということになると・・・

 

そういわれるとね・笑

 

 

 

だからこそ、そのときお手合わせする方のビジョンは、気楽に眺めながらも

 

いつも興味深く拝見しています

 

「じゃ、これって・・・わたしもこうしていいってこと?」

 

そう考えては、

 

美味しいビジョン・アドバイスに関しては

 

自分の人生にもちゃっかり使わせていただいているんです♪

 

 

 

だから、

 

セッションをするのは、人のためじゃないんだと思います

 

(わたしの場合ですけど)

 

自分にとって必要だから、自分にメリットがあるから

 

スピマや、セッション会など定期的にそういう機会を起こしては

 

「大きな人」からのメッセージをもらいに行ってるんですね

 

 

 

 だからこそ、素敵なことに

 

わたしと同じような課題を持っている人をちゃんとわたしの前に座らせてくださるんです

 

昨日のスカイプセッションも、そうでした

 

「そうか、そうなんだぁ・・・」

 

お相手の方と一緒に小さな自分もちょこんと座って聴いている感じです。

 

 

 

そういえば・・・

 

小さい頃から、自分に向って直にというよりも

 

誰か他の人に話しているのを傍から聞いたり、眺めたりするのが好きだった・・・かも。

 

好きな学び方、嫌いな学び方というのも 

 

昔からちっとも変わってないということかな?