「ありがとう」が言いたくて・・・

 

昨日は、横浜にお呼ばれ。

 

ステキなイベントに参加させていただきました。

 

贅沢にも 「ライアーコンサート」 (竪琴のような、ドイツの楽器)とのジョイントで、

 

もう・・・クラクラするほど癒されて・・・・

 

ご一緒した皆さんは、見回すと各方面の偉大な先生ばかり、

 

うわぁ~という素晴らしい場に 身を置かせて頂きました。

 

主催の斉藤光明先生は、スピマがご縁でわたしがずっと慕っている先生です♪

 

その先生の周りに集っている方々は、そろいも揃って深い慈しみの魂・・・

 

そして、朗らかでステキな方ばかり・・・

 

いつもお世話になっている「藤棚の君」も・・・守護神のようにわたしを引き上げてくださります。

 

そんな懐かしい、やわらかいフィールドに包まれる中、

 

こころの琴線に触れるライアーの音色・・・・

 

斉藤先生の「感謝」の時代、というお話・・・・

 

 

 

あぁ・・・そうなんだぁ・・・

 

ひとつ、大切なことを想い出しました。

 

 

 

それは、お会いする方、お会いする方に、

 

わたしは、「ありがとう」 を言いたいだけなのかもしれない・・・・と、いうこと。

 

 

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古い古い記憶、動乱の時代・・・

 

 

家も失い、国を追われ、転々と逃げ惑うわたしたちをかくまい

 

食べ物・着る物・寝床を与えてくださった方々・・・

 

 「さぁ、おいきなさい!」 と、

 

懐になけなしの食べ物を突っ込んでは、笑顔で送りだしてくれた人々・・・

 

 

名前も知らない、もう、二度と会えない。

 

 

でも、もし、今度お会いできたら、もう一度、お会いできる世界がきたら、

 

そのときは・・・あのときの想いを伝えたい。

 

どんなに、わたしが、皆さんのおかげで助かったか、癒されたか、

 

あの一晩の眠りが、あの温かいスープが、あのときの調べが、どんなに有難かったか・・・

 

 

この言葉につくせないこの想いを、どうにかして伝えたい。

 

 

だから・・・・きっと、今生、セッションでお会いしたとき、

 

ここであったが100年目とばかり(笑)、あのときの言い尽くせなかった 「ありがとう」 を

 

語っているわたしがいるんですね。

 

 

あのとき、あなたがわたしにしてくださったように・・・あなたを励ます歌を謳いたいと。

 

 

今のわたしも、あのとき同様 

 

何も持っていないし、目に見える物 何も渡してあげられないけれど、

 

「ありがとう」しか言えないけれど・・・

 

精一杯、精一杯、今のあなたに感謝を伝えたい。

 

もしかしたら・・・わたしは、今生で 「お礼を伝える人」 として、再生したのかもしれません。

 

 

やりきらなければ!

 

あの時代お会いした人々に、ひとりでも多くお会いして、あのときのお礼をいわなくちゃ。

 

 

その方の記憶には、もうないかもしれないけれど・・・

 

わたしのカラダは覚えていて、残っているものがあります・・・(身に覚えがあるのです)

 

あなたがこれまで世界に発信してきた、さりげない優しさが、今のわたしを産んでいます。

 

わたしのカラダが、あなたの良心の証なのです。

 

 

わたしの口から出るものは、どうやら 「アドバイス」 という類の情報というより、

 

「感謝」 という想いの変化形なのかも・・・・しれません。